2010年01月11日

白虎隊の殿様 その2

白虎隊の殿様 会津藩主 松平容保(かたもり)の話しの続き・・・・
文久2年(1862) 閏8月に松平容保は「京都守護職」に任ぜられる。
読める?「きょうと しゅごしょく」だよ。

どんな仕事かは文字を見れば分ると思うけど・・・
京都を守る警察官の一番偉い人って感じかな?
どうして 容保 が選ばれたかと言うと、表向きには 「 天皇からの信頼も厚く、
会津藩が武士軍団として優秀で、容保自身が指揮官として優れていたから。」
なんだけど、本当の理由は・・・・
詳しく書けばきりが無いけど 「 会津藩の立場を悪くする為、
わざと難しい仕事をさせて失敗させるため 」 って言えば分り易いかな?
そんな事情もあった。

そして、その事は松平容保も気付いていた。引き受けたら大変な事になると・・・
実際には何度か断ったんだけど、結局 断わり切れなかったんだね。
何故なら、この職は 徳川幕府 からの命令 だから・・・
前にも書きましたが会津には 「 家訓 」 があります。
その家訓には「 幕府に従わない者は子孫でない 」 と書いてあったからです。
特に、容保は元々 養子として迎えられた藩主だったので、
先祖代々守られてきた 「 家訓 」 に
養子である自分の代で逆らう事は出来なかったのです。

徳川幕府は徳川家康から始まって15代 慶喜(よしのぶ)まで続きますが、
当時 文久年間(1861-1864) は14代 家茂(いえもち)の時代でした。
徳川幕府は長い間 「 鎖国 」 をしていて外国との交流を禁じていたのですが
「 黒船 」(外国船)が訪れるようになり 「 開国 」 を迫られ、
また幕府の政治に不満を抱いていた人達も
幕府を潰したいと考える様になっていました。
「 外国と交流をする事はいい事なんだ 」 「 日本は遅れている 」 という人や
「 このまま鎖国をしていたら外国と戦争になる 」 という不安を
抱く人が増えていました。
しかし、徳川幕府を潰す為には、徳川幕府よりも強い人
或は偉い人の力が必要でした。
そこで日本を変えたいと思っている人達は「天皇」に日本を変える様に説得します。
しかし、天皇はこれまで徳川幕府に政治を任せていたので何も出来ません。

そんな時代です。
とにかく日本は とても乱れていたのです。
そして天皇のいる京都は特に乱れていました。
その乱れた京都を安全にしなさい。と命令されてしまったのが
会津藩主 松平容保 なのです。
時代は 「 天皇 VS 幕府 」となろうとしていて、
その舞台が 京都 であるのに・・・・・。
天皇にも幕府にも逆らう事の出来ない会津藩には、とても難しい仕事だったのです。



手作り雑貨 SHOP
かわいい手作り雑貨いっぱ〜いのお店。
posted by KANCHI at 10:09| 白虎隊の基礎知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。