2010年01月04日

白虎隊の殿様

会津藩主 松平容保(かたもり)は9代続いた会津藩、松平氏の 最後の殿様です。
今日は、この 9代藩主 松平容保(かたもり)について少し触れてみます。
松平 」 とは 「 徳川 」 の元の名前で、徳川家の親戚 だと考えれば分り易いね。

松平容保(かたもり)は
美濃国(岐阜県)高須城の藩主 松平義建(よしたつ)の
(6番目の)子供として天保6年(1835)に生まれます。
でも12歳の時、会津8代藩 松平容敬(かたたか)の養子となります。
容敬には子供が出来なかったからです。
そして嘉永5年(1852) 容敬が亡くなり、容保が 9代藩主 となりました。

前回 初代会津藩主 保名正之(ほしな まさゆき) の話しを書きましたが
覚えてますか?
彼が徳川2代将軍 秀忠の子供だと書きましたが・・・
つまりは3代将軍 家光の腹違いの弟です。

3代将軍 家光は、この弟に深い信頼を寄せていたそうで
病床で無くなる間際に正之を呼び寄せ、
この 徳川家 を頼む 」 と言って亡くなったそうです。

正之が会津藩主になった時 「 家訓 」 を作った話しも前回書きましたが、
それは、たとえ遠く会津にいても家光の遺言に応えたいという思いが
あったからだと思います。
「 家訓 」 を現在の言葉に直して書くとするならば

「我 子孫は 皇室 を敬い、将軍 に対して忠勤を励みなさい。
 他の大名と同じ様に考えてはいけません。
 もしも、叛くような者がいた場合には、我 子孫では無いと見なし、
 家来たちは、その様な者に従う必要は無い。」

って感じの 「 家訓 」 だったのです。
会津藩の藩主は全てこの 「 家訓 」 に従って来ました。
それが会津藩の姿勢です。

9代藩主 松平容保も同じでした。
会津藩は武士の教育に特に力を入れていました。
武士の子供には 「 (じゅう) 」 と呼ばれる 遊びのグループがあり
その中でも厳しい「心構え」を教えられました。
子供の頃から「武士のあるべき姿」を徹底的に学び育つのです。

また会津の軍勢は長沼流の軍学を取り入れ
「 軍勢の指揮は 藩主自ら が執る。」と言うものでした。
容保は決断力を持ち、命令が的確な人物で有能な指揮官として知られています。
また、その姿勢は 孝明天皇 からも厚い信頼を寄せられていました。

そして文久2年(1862) 京都の治安維持の為の新しい職務
京都守護職 」 に任じられてしまうのです。
この事が、会津の運命を大きく変えてしまいます。

次回は この 「 京都守護職 」について書きたいと思います。



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posted by KANCHI at 19:13| 白虎隊の基礎知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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